気学 方位・暗剣殺論争!

気学 方位・暗剣殺論争!

こんにちは^^

今回は、望月先生の『実際総合鑑定活断』から、気学や干支九星、その他の方位や暗剣殺考え方、取り方についての、論争。。。というか比較かあったので、ご紹介します。

 

本文を、読みやすいように、句読点をつけたり、段落をつけたりして、ご紹介しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

十二月号のパンフレットに思いつくまゝの記で、園田さんの息子さんの本が出ましたので、一寸それに附随した事を言っておかないといかんかな、と思いまして記しておきました。

気学宗祖、園田眞次郎の子息で、明治三十九年二月生れの前沢氏が、八方位四十五度説を採り入れた本を出し『気学新解』百八十一頁以降―以下、(同著の一部より)

「明治二十二年、東京小石川伝通院の尾島碩聞の方鑑必携で、十五度二十四山説が世に出て始めて、一方が四十五度の八方位盤となり、角度がはっきりして、世人の吉方転居が正確に出来る様になり、干支九星のれいめい期に入ったものである。その後京都では白井為賀が、尾島式と同様の四十五度八方位盤を発表した。

同じ八方位でも四正三十度、四隅六十度、の十二支に焦点をおいた八方位盤は筆者の父、園田真次郎が、昭和二十四年方位明盤に発表し、気学として角度改正を世に訴えたものである。

然し筆者は考える所あって、干・支・九星、それぞれ独自の方位効果を見る、総合八方位盤となして、三大真理を明らかにする角度表を作成し、昭和二十九年拙著の方位原図に採り入れる事にしたのです。」とあります。

さて、私は、前沢氏の説の前に名付け親である、園田氏の説が、ここ約三十年間世間一般に用いられている事柄に対して、子息である前沢氏が、五年後には早くも父の説を正しているのに、他の弟子達及びその流れを汲む自称気学者達は、 根本の説であり、急所である八方位を取り扱っている訳であります。

又前沢氏は、四十五度二十四山説に対し、尾島碩聞氏から始まったと書かれているのは、資料不足であり、既に江戸時代に用いられていた事を知らぬ面がありますが、印刷された本としては、と云う但し書きが必要であります。

筆写本は後日写された時に書き替えられたとする考え方もありますので⋯⋯⋯⋯⋯

 

※ここでちょっと驚きですね。園田真次郎先生の息子さんの前沢氏が、30度60度説を取りやめているということです。

それなのに、お弟子さんたちは、30度60度説をやめなかったために、現在でもなお、方位のとり方が30度60度になってしまっています。

そもそも、ここにあるように、明治期には八方位45度説がありました。45度というのは、さらにそれを三山に分け、15度24山とし、

一年の節気、二十四節気とイコールにしてあるわけです。

それを鑑みれば、望月先生のおっしゃる通り、八山45度説というのは、明治期に始まったのではありません。

郭氏元経にもあるように、方位はそもそも二十四山で見ていたのです。

 

次に、前文の、四隅六十度の十二支に重点をおいた園田氏ならば、何故本命殺、本命的殺、暗剣殺を九星で取り、歳破のみ十二支を用いたか。気学の宗家と云う、神話的人物を只正しいとする考え方で、五黄殺が九星であるから他の六大凶殺又は、五大凶殺が内容は、全て十二支で説明出来る事を知らない。

又は知ろうとしなかった点であります。例えば今年(昭和 54 年)12 月を例に取れば

 

 

 

と、十二支と九屋をゴチャゴチャに取らずに、十二支の大地の気、土の気、陰陽の気にて、全部説明出来るわけであり、

例えば同じ暗剣殺でも左記のようになり、同じ北の暗剣殺でも内容が異なるのが常識だと思うのですが、皆様はどのように思われていたのでしょうか。

 

※この、「暗剣殺は地支で説明する」については、

盤上に干支を廻座させてみないと、わからないことです。

(園田真次郎先生も、本当は盤上に地支が廻座していることをご存知だったはず…)

下の方の盤を見ていただくと、暗剣殺や五黄殺とは、九星(だけでなく)地支が被っていることがわかります。

ちょっとピンとこないという方は、さらに下に一覧を置いておきますので、見てみてください。

 

暗剣殺を受ける地支は決まっており、
寅→亥→申→巳→寅→亥→…と生旺墓の内「生」の地支が暗剣を受ける。
文中の「内容が違う」とは、九星と一緒に廻座している地支のことである。
あとは、ご自身で考察していただたい。

 

例えば、下の例で行くと最初に「庚寅」が昭和25年まで毎年、暗剣殺を受けつづけています。

そして、昭和26年になると、己亥が巽宮で暗剣殺を受け始めます。

下の表では、一白年の坎宮にて、暗剣殺を受けている星を比較していますが、

「小生の暗剣殺」には「庚寅→己亥→戊申→丁巳→丙寅」といった順で、地支が案検察を受けていることが分かります。

九星だけでは、一白年はいつでも六白が暗剣殺を受けることになりますが、本来は、それと同座している地支が「暗剣殺を受けている」状態といえます。

そして、年月盤において、暗剣殺を受ける地支は、限定されています。